aquarium in #705

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2009年 03月 13日

一球入魂大暴投

3日経ち、状況を理解しました。

2月は本当に忙しくて週末の水替え以外にはほとんどタンクに費やす時間もなく、ネット徘徊についてもコケ退治情報収集の為にgoogle検索や2chを覗きながらも、相互リンク頂いたブログ更新チェックさえもしていなかった状況を前提させて頂きます。

まずは案の定、私のブログURLが2chに掲載されて、匿名な遣り取りが為されていました。googleで「http://osamimizu.exblog.jp」を検索したところ、2chのスレッドが2つもヒットしました。お陰様でアクセスカウンタが鰻上りです。
また、その中で具体的には「38brain様やfactorystyleaqua様の事を私が攻撃している」「38brain様とみみず(私)が戦っている」という様な記載も見受けられました。

そこでAM3を比さしぶりに(38brain様、すいません!)拝見したところ、38brain様実施のアンケートを等やその結果を知るところとなりました。ここまで来て漸く38brain様からのコメントについても、その趣旨を理解することが出来またのです。

サラリーマンならば大同小異だと思うのですが、私は公務員が嫌いです。でも大学時代の友人が「俺、公務員になったよ」と報告されてもその嗜好を堅持出来るかと問われると、その自信はありません。それを「卑怯」だとか「薄弱」と称するならば、そうなんでしょう。
AM3上でのアンケートの存在を存じていた上で一昨日や昨日の様な先鋭的な事は書けなかったと思います。
このディスカッションがブログ上でなく飲み屋で行われているものであったなら、とつくづく思います。飲み屋ならば「おまえ、なんでコウムインなんかやるんだよお。おれコウムインきらいなんだぜえ」って感じで言えたでしょうに。
相手が見えないことで意見は徒に先鋭化して、言葉の端々の誤解を解くことも許されない。しかも誰が読んでいるか分からない。こんな舞台上で赤裸々な意見を表明してしまったことに自分の未熟さを認めざるを得ないです。

しかし「アレはアレ、コレはコレ」と議論継続の余地を自ら作ってしまった以上は、これを完全燃焼させてしまいましょう。本イシューで何があっても、私はaquamindlaboratoryの顧客ですし、AM3の愛読者でいたいと思っています。

これはディスカッションというキャッチボールを終わらせるための大暴投です。38brain様がくださったコメントを無視して私がボールをこっそり捨てるのは忍びない。でもまた私がボールを投げ返してしまうと、38brain様は流石に無視なさるかも知れませんが、他のどなたかがそのボールを受け取って投げ返してくるかもしれない。だからこのキャッチボールが終わるように敢えて大暴投をします。

ここから下の暴投は礼儀として38brain様のコメントをふまえています。でもその暴投はあまりにも力んだフルパワーなので、38brain様の方に投げ返しつつも、擦りもせずに明後日の方向にすっ飛んで行ってしまうと思います。まず他の方は決してこのボールを拾わないでください。ただ、38brain様だけは「お前ばっかりずるいじゃないか。俺にも思いっきり投げさせろ!」ということであれば、フルパワーのきついヤツを一発だけお返しください。真っ正面から受け止めがたいので、暴投希望です。勿論お忙しいとは存じますので、無視してくださっても結構です。そこでこのことは終わりにしましょう。

繰り返しますが、そのほかの皆様は、この馬鹿馬鹿しくも昭和の香り漂う少年ジャンプ的茶番劇の傍観者に徹してください。


私の投球は2つあります。
1つは「付和雷同的性向下におけるアンケート」について。
もう1つは「資本主義とCSR、民間企業の言動へ異を唱えること」について。

■まず「付和雷同云々」について
付和雷同とは、「関東では、エスカレータで急ぐ人は左側を通ること」だと思っています。ご存知の方も多いかと思いますが、エスカレータで急ぐ人のために右側を空けるのは関東で、関西では逆だそうです。
なぜでしょうか。勿論、ルールではありません。デパートなんかではルール化されている事もありますが、それは既成事実をルールとして明記しただけで、ルールから現状ができあがった訳ではありません。その証拠に、唯一ルールっぽい国土交通省の見解は「エスカレータでは危険だから歩くな!」だそうです。
察するにエスカレータで右側を歩く人(関東)のモチベーションは「その状態を守ることが心地よい」でしょう。
なんとなくみんなが右側を歩いている状態でその流れに加わった人間は、右側を歩いた方が快適なはずです。敢えて左側を歩こうとすると自分も面倒だし、他人も迷惑です。つまり誰に言われることなく、大勢の流れを察して、そこに迎合する方が物事はスムーズに行きます。最初のひとりは左右どちらでも良かったのかもしれませんが、後続する人は先行する人に指示されなくてもそれに追従して、それが大きなストリームになってしまう訳です。結果、合理的根拠も権力的強制もなく、暗黙のルールが完成します。
しかして、「エスカレータで急ぐ人は右側を通るべきか左側を通るべきか」という設問には間にあるべきロジックがないままに答えだけが存在するという状況が出来てしまっているのです。

このエスカレータの比喩はもう一つの寓話を含んでいると思っています。それは「右か、左か」という設問の答えは「どちらでもない。歩かないのが正解である」という寓話です。
つまり、自由意志を問うているつもりの設問が、実はその自由を奪って回答の傾向を限定しており、しかも真理には絶対に到達しえない様にしてしまっていることがある、という事を意味しています。
回答の選択肢が限定されている中でひねり出した回答からは、回答者の真意という個人的意見でさえ、ゆがんでしまっている可能性があります。

更に言えばあらゆる設問には恣意性があり、敢えて危険な表現を使えば、「設問の時点で答えは決まっている」こともゼロではありません。
メンデルの優性の法則(ここでは法則自体の説明を割愛します)の優性エンドウと劣性エンドウとの割合が3:1になるというという発表は、論文の版を重ねる毎に、なぜか優性と劣性のマメの数の比率が3:1にキレイに近付いていったそうです。これは研究データの改竄という説もあれば、助手がうまく3:1にならない集計結果を、メンデルの指示もないのに破棄していった結果だとも言われています。メンデルという大先生が「3:1になるはずなんだけど、どう?」と問うた段階で、助手の中には「3:1にせねば」というモチベーションが発生した、という可能性を示しています。

小沢さんの政治献金問題が真っ盛りの最中、NHKの街頭インタビューで「小沢さんを支持しますか」と聞かれれば、積極的に不支持を掲げる人間は「支持しない!」と威勢良く答え、民主党支持者は本当は小沢支持を表明したが今は言い辛いから「回答せず」という姿勢をとるかも知れません。テレビに出られることを期待して、信念に関係なく、「勝ち馬に乗りたい」というモチベーションも働くかも知れません。質問者の意図を先回り(もしくは曲解)して、「どうせこいつらは『支持しない』って言うまで『なんでですか?』って繰り返すんだろ?」と斜に構える人もいるでしょう。結果、有効な回答における不支持の割合は圧倒的になることは目に見えています。NHKが改竄を行わなかったとしても、です。だから、街頭インタビューではなく、もうちょっとだけソフィスティケートされた「選挙」という方法で政権を決定するのです。
アンケートという手法では、暗黙の内に存在するメインストリームを顕在化させることは出来るかも知れませんが、「少数派の存在」、「少数派の真意」、「多数派と少数派の比率」、「総意」は分かりません。最初のメタファーに立ち戻れば、関東のエレベータを眺めていても、「左側を歩きたい人はいない(少数派の存在)」とか「エスカレータで寝っ転がりたいと思っている人はいない(少数派の真意)」とか「右側歩きたい派が97%(比率)」とかと言ったことは結論出来ないのです。
そんな私は生まれも育ちも東京ですが、関西の方には実感を伴ってご理解いただけることと存じます。


■次に「資本主義云々」について
またメタファーですいません。本職はコンサルなので、ついつい説得的コミュニケーションの王道を行ってしまいます。
資本主義は「自転車レースとそのダイナモライト」だと思っています。ここで自転車を使ったのは、天野社長の経歴や「自転車操業」という表現にも無関係です。レーシーな自転車にはダイナモライトはないだろ、という突っ込みは勘弁してください。
古典的自由主義経済のイメージでは資本自身のダイナミズムから「神の見えざる手」が良い塩梅で社会全体をハッピーにしてくれる訳ですが、この資本自身のダイナミズムを自転車に例えて、社会全体がハッピーになることをダイナモライトが空間を明るく照らすことに例えています。
自転車は明るくしたくてダイナモライトを点灯させているんではなくて、自転車が前に進むと、その運動エネルギーのおこぼれでダイナモライトが点灯する訳です。
主張を反復して恐縮ですが、自転車たる民間企業は、交通ルールという法律を遵守する限りにおいて、自由に走ることが許されています。自転車が競争をして速く走れば走るほど、世の中全体が明るくなります。しかし道の太さには限界があるので、みんなが横並びで一番にはなれない。レーサーの体力的限界や道の状況、他の競争者の状況を鑑みて、戦略的に敢えてスピードを落とす事も許されています。わざと徐行して、その行為によって明らかに他人の進路妨害をすれば「ダンピングだ!」と怒られることはありますが、そういった禁則事項はルールに予め定義されているという前提があります。
ただ最終的にはレースの覇者になることが、レーサー自身、もしくはそのスポンサーにとっての至上命題であることは間違いなく、それぞれの考えで切磋琢磨しています。だからスピードを落とすことはレーサーやスポンサーの命取りになるかもしれず、そのリスクは両者が甘受します。

消費者たる私たち沿道の観戦者は自転車がガンガンに競っているお陰で明るく照らして貰っていますが、自転車はそれを目的としてはいない。レーサーにとってライトの明るさは自分たちの速度の目安に過ぎないのです。消費行為自体を企業の目的として捉える資本主義モデルでは、キャピタルゲインや非実体経済を説明することができません。極端を言えば、自転車たる企業は労せずしてゴールすることを考えているので、ダイナモを煌々と照らさずにスピードが出るんであればそれに越したことはないのです。それを許さないのが神の手なんですが。
「神の見えざる手」は結果論に対する賛辞であり、本当は神なんて居なくて、レーサーの運動エネルギーと勝利への情熱が世の中に還元されるというナイスなスキームを「神」と称しているだけなのです。
だから神が居なく、スキームとルールしか無いレースの中で、たまたまレーサーが徐行を始めたり進行方向を変えたときに、「おいおい俺のところが暗いじゃないかよ、こっちを照らせよ」という沿道からの野次はレーサーにとっては騒音でしかないしレーサーが耳を傾ける義務も、野次馬がそれを要求する権利も持ち合わせないのです。勿論、訴えかける対象としての神もおらず、「あれ、反則じゃないの?」と審判に告げ口することは出来ても、観戦者自身が反則の宣告をすることはできません。

比喩が長くなりすぎました。閑話休題。
比喩の中で今回の事例に則して私が申したかったことは、解説するまでもないでしょう。

古典的経済学の中では「合理的人間」が消費者像に前提され、商品の選択は価格によってのみ行われていました。
実際には商品選択の尺度は価格だけではない。そもそもメーカA社でメーカB社とで全く同じ製品などはありえないので商品自体が異なる訳ですが、昨今はそこに価格や商品だけではなくて会社自体を選択基準に加えるムーブメントが巻き起こっています。これが企業の社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility)です。いくら魅力的な製品を安価で売っていても、コンプライアンスに反する企業、エコじゃない企業、女性や障害者雇用に消極的な企業等々からは商品を購入しない、という尺度です。
では、このCSRは勝者を決定する上での新しい価値基準なのか、それとも旧来的な価値を獲得する為のテクニックに過ぎないのでしょうか。自転車に戻れば、例えばレースの勝者を決定する際の価値基準は「如何に早くゴールしたか」です。CSRが新しい価値基準であれば、それは「速度だけではなく、例えば自転車自身の装飾性も芸術点として検討して、総合的に優勝者を決定しましょう」ということになります。また、CSRが旧来的な価値を獲得する為のテクニックに過ぎないのであれば、それは「従来はただがむしゃらにペダルを漕いできたが、科学的トレーニングや空気抵抗を軽減する画期的なウェアの導入、ペース配分の緩急等、レースが筋肉勝負だけでなくなくなってきた。でも目指すのは速度」ということを指します。
現在のCSRの位置づけは後者であることは疑うべくもありません。資本主義における大原則は近代から揺るいでおらず、資本主義社会における企業の至上命題も変わっていません。残酷に言えば、「CSRを果たしていても、売れなければ会社は倒産して、従業員は路頭に迷い株主はキレる」、「格好良い自転車でも遅ければダメ」ということです。
CSRはマーケティングや商品選択基準、ひいては企業行動指針において、重要な位置を占めていることは否めません。パロマ社とパナソニック(旧・松下電器)社とが、ガス給湯器(ガス暖房機)不具合に対する対応で明暗を分けたことは記憶に新しいことと思います。しかしながらパナソニック社はCSR自体を目的として全CM枠を謝罪とリコールに切り替えたのかと聞かれれば、それはNOとなります。パナソニック社はCSRを果たして企業イメージを向上させ、商品選択の際にパナソニック社の製品を選択して貰う、もしくは選択されなくなってしまう事を回避するために、CMを切り替えたのです。つまりCSRは売り上げの手段に過ぎない。
当然CSRを果たす為にはコストが発生します。しかしそのコストに見合うだけのプロフィットが見込めるのであれば費用投下すればよく、長期的に見てもペイしないから見送るという判断が下れば、それもまた正しい企業判断なのです。パナソニック社は今回のCMの為にどれだけの費用投下をしたのでしょうか。たしかにそれによってCSRを果たしたことは間違いないのですが、その判断が経営的に正しかったか、つまり特損を計上してまでもCMを切り替えた方が長期的にはプロフィットを上げることができたのかどうか、という問いに対しては、今もって推測以上の答えは出ないのです。CSR自体は目標ではない。そしてプロフィットを得るためにコストを投下するという構造は従来的な資本主義モデルであり、やはり自転車レースはスピード勝負なのです。

プロフィットを得るためのコスト投下のセオリーは複数あり、観客はついつい「飛ばしていけー」とか、逆に「序盤は押さえていけー」とか具体的な応援をしたくなってしまいます。
でもその指示に従うリスクを背負うのはレーサーとスポンサーであり、沿道の観客はノーリスクです。リスクを背負わない観客にはレーサーに注文を付ける権利はありません。
むしろ私はレーサーの「本当は序盤からガンガン行きたいんだけど、持続力がないから我慢して押さえてんだよ」という内心を想像してしまい、観客は黙してレースを眺めるべし、と思っています。贔屓の選手なら尚更です。ま、ここは私の趣味ですが。


さて、以上が私のフルパワーの大暴投です。力むあまり、38brain様が構えているミットには全然届かないかも知れませんし、敢えて正面から受け取られないように狙いを外していることも否定出来ません。もしかしたら38brain様は退屈されてそこにはいないかも知れません。
他の方は笑って流してください。

私はもうフルパワーを出し切ったので、この件にはどんな問いかけにも挑発にも黙秘をもって臨みます。

明日からは(明日は流石に更新しないと思いますが)、本当に書きたいことだけを書けるようなブログに戻らせて頂きます。
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by osamimizu | 2009-03-13 00:11 | その他


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