aquarium in #705

osamimizu.exblog.jp
ブログトップ
2009年 03月 10日

不本意ながら、昨日の続き

昨日久しぶりに当ブログを更新しましたが、アクセスカウントが尋常じゃない数字を示しています。
多分、昨日のADA通販問題への言及が、2chあたりで良くも悪くも話題になってしまっているのでしょう。コケ撲滅のことが話題になってれば幸せなんですがね。

良い意味での話題になる訳もないので、釈明をうっておきます。
本当はこんなこともう書きたくないんですが、自業自得ですね。。。

2,3人しかこんなブログ読んでないだろうと思って記したものの、不特定多数の目に触れれば面白くない思いをする人がいるであろう事は想像に難くない事でした。迂闊な物言いであったことを謝罪します。
出来れば先日の記載を削除してしまいたいのですが、昨今の小沢さんの「発言を撤回する」という行為の無意味さ・無責任さに辟易としていたので、敢えて私は削除はしません。それに、反感を買ったから、敵を作ったから撤回、というのも大人として格好悪すぎますから。

ここまでは謝罪、ここからが釈明です。
ちょっと壮大な話になります。

私たち日本人は中庸であることを良しとして教育を施されてきました。何事もほどほどに、過激はダメ、がこれほどまでに擦り込まれていることに驚嘆し、「教育」というシステムを侮っていたことを悔い、既存の教師・教育システムを壊すために将来の選択を変更しようかと本気で考えたことが学生時代特有の熱病に終わったので、今はサラリーマンをやっています。
なんで中庸の価値観が芯に据えられたのかを史観含めて意見すると別の話題の標的になりそうなので敢えて簡単に私見を述べますが、「反権力」ということがキーワードになるでしょう。民主主義、平和主義、文民統制、自由主義経済、これら戦後のキーワードは首尾一貫して反権力・反統制であり、その土壌としての権力の暴走を諫める中庸志向が教育されたのでしょう。
さて、その徹底された中庸志向を私は嫌いではありません。恐らくは嫌いになるほど、それを客観視できていないのでしょう。でも嫌いじゃないまま三十路を越えてしまったので、もう嫌いにはなれません。
中庸であることはバランス感覚を要して、それを維持するのには高度な知性が求められます。しかし今の世論が持つ中庸志向は決して論語に説かれた中庸ではなく、「尾崎豊的な幼稚ロックンロール」に過ぎないです。学校の窓ガラスは叩いて壊しちまえ!みたいな感じです。学校=権力や強者の言が自分たちにとっては不利益であるという古典的価値観に端を発して、そこに盲目的に反発してるだけです。
今や古典的価値観は敗退して、自分たちこそが権力の一つを構成していることに気がついていないんです。紛れもなく、日本国民は日本における権力ですよ。民主主義国家だからではなくて、政治やマスコミといった既存権力が自分たちの意見を持たずに大衆迎合を旨としている現状分析の結果、大衆が権力を握っているのは自明ということです。支持率で政権はひっくり返るし、マスコミはコマーシャルビデオに過ぎません。なのに自分たちを権力の彼岸に位置づけて犠牲者ぶって盲目的に反発する。
権力が強大でファナティックに鷹派だった時代には盲目的反発も一定の価値があったのかも知れませんが、今は違うんです。中庸を志すのであれば、自分で考えてバランスを取らなければいけない。強力な権力に非力な大衆が全力でNOを唱えると結果的に全体では中庸を目指して動いていたことになっていた、なんていう牧歌的な時代はもう終わったんです。労使闘争しかり。そんなバランス構造は崩壊しているんです。

だから私たちは付和雷同を避けねばならない。どんな方向であっても、権力の構成者が一斉にその方向を向けば、その勢いには道理も引っ込むのです。三権でさえ分立しているのに、1億3000万権が分立を辞めたら大変な事になります。今は旧来の権力よりも民意の方が過激で「権力的」で非合理で非道理な事が珍しくない。全くもって中庸ではない。
私が大嫌いなソフトバンクの白犬も「空気なんか読むな」と言っています。そこにだけは同意です。「空気を読む」。なんて傲慢で閉鎖的な言葉でしょう。異文化排除の田舎者根性丸出しです。「空気」を共有出来ないモノをパージし、村八分を恐れてみんな付和雷同へと向かわざるを得ない。学生のイジメが無くならないのも、2chにおけるADAへの異常なまでの批判は空気を読んだ成果なんでしょう。

だから私は中庸を志向する為にも、今回は敢えて天の邪鬼でいます。昨日も書いたとおり、私も損益を被る消費者のひとりですが、敢えて、です。
不法入国者の娘がいくら可哀想でも、今の法律では親を国外退去させるのは道理なんです。外国の不法行為によって子供を拉致された親の意見であっても、度を超して政策要求にまでなるのであれば全体利益のためには無視もしなければいけない。被害者は被害者であってヒーローではない。庇護すべきかも知れないが特権を与えてはいけない。みんなが権力者と反対の方向を向いていれば良い素晴らしき時代は去ったのです。ADAが行った通販禁止が気に入らなくても、全員が全員強烈な「反対」を唱えているネットの世論は幼稚な尾崎豊主義でしかないんです。北朝鮮の全員笑顔のマスゲームを見たときのような違和感を覚えます。みんなが「反対」を唱えている相手は権力でも独占者でもなく、単なるイチ民間企業ですよ?あなた方と対等です。決してみんなは非力じゃないんです。

私の意見には従って欲しくない。誰の意見でもしかりです。
合意するんだったら、黙っていて欲しい。だってその意見は既に他人が言った意見なんでしょ?違う意見だからこそ言う価値があるんです。私の意見が2chの方々や他のADA大好きっこさん達(勿論、私もそのひとりです)の意見と異なっていてもいいでしょ?私の意見が私の友人や私がお世話になっている先輩ブロガーさんの意見と何から何まで一致する訳がない。お互い数十年別々に生きている大人なんですから。そしてあるイシューにおける意見の背反は、その人との人間的対立には必ずしも結びつかない。アレはアレ、コレはコレ、という事です。

先に謝罪したとおり、天の邪鬼になるあまり、多数派の意見を揶揄する様な過激で稚拙な表現があったことは謝りたい。あまりに反対派の方が多かったので強烈で刺激的なことを言ってみたくなり、不適切なことを書いてしまいました。
そして出来れば昨日の記載を削除したいですが、それは卑怯なのでしません。

また今回の記載では尾崎豊とソフトバンク、マスコミ関係者、政府関係者を揶揄してますが、これは否定しません。

以上。
[PR]

by osamimizu | 2009-03-10 20:36 | その他


<< 一球入魂大暴投      コケとの戦い 勝利宣言へ! >>