2009年 04月 29日

人売り、人買い

最近コンサル業務の傍らで、クライアント企業の人工不足を補填する為に人売りの仲介業に手を染めている。
以前は不動産を売っていて、粗利はせいぜい30%だっだが、人売り仲介の粗利は50%ぐらい。
一例として、原価が月40万(年収500万弱)のSEをうちの会社が月90万ぐらいで仕入れて、それをクライアントに売るときは130万ぐらいで売っている。

SEの雇用元は派遣先がない=不良在庫というリスクを抱えるので暴利とは言えない。在庫リスクは小売りの最も恐れるところだ。古本なんか、仕入れの1000%で売るのが当たり前。在庫が多かったら、売値に載せざるを得ない。
うちは在庫リスクもなく販管費もほぼゼロなので、粗利がまるまるほとんど純利になる。これは明らかに暴利。
でもクライアント企業も正社員の雇用リスク(使えない新人でも、ひとり雇うと2億から3億の買い物で、途中解雇不可)を回避したいから喜んで買う。

不景気だけど、日本の人件費に対する意識の低さは昭和の時から全く変わっていない。
なんでこんなにあらゆる人件費が高くて、しかもそれを疑問におもわないんだろ。トップマネジメントの給料と新卒ぺーぺーの給料が精々5倍ぐらいの差なんて常識外れでしょ。ましてや私が派遣したSEを12ヶ月使うと、1500万超えますよ。ちょっとした部長・本部長クラスの人件費です。でもホントの原価は500万しない。
驚異的な低失業率と格差の無い社会作りという政策方針が大転換されない限りは、日本の人売りは美味しい商売だ。

まだ独立は考えていないが、やるならコレしかないかな、と休日勤務で妄想。


あー。水替えがしたい!!
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# by osamimizu | 2009-04-29 16:48 | その他
2009年 03月 13日

一球入魂大暴投

3日経ち、状況を理解しました。

2月は本当に忙しくて週末の水替え以外にはほとんどタンクに費やす時間もなく、ネット徘徊についてもコケ退治情報収集の為にgoogle検索や2chを覗きながらも、相互リンク頂いたブログ更新チェックさえもしていなかった状況を前提させて頂きます。

まずは案の定、私のブログURLが2chに掲載されて、匿名な遣り取りが為されていました。googleで「http://osamimizu.exblog.jp」を検索したところ、2chのスレッドが2つもヒットしました。お陰様でアクセスカウンタが鰻上りです。
また、その中で具体的には「38brain様やfactorystyleaqua様の事を私が攻撃している」「38brain様とみみず(私)が戦っている」という様な記載も見受けられました。

そこでAM3を比さしぶりに(38brain様、すいません!)拝見したところ、38brain様実施のアンケートを等やその結果を知るところとなりました。ここまで来て漸く38brain様からのコメントについても、その趣旨を理解することが出来またのです。

サラリーマンならば大同小異だと思うのですが、私は公務員が嫌いです。でも大学時代の友人が「俺、公務員になったよ」と報告されてもその嗜好を堅持出来るかと問われると、その自信はありません。それを「卑怯」だとか「薄弱」と称するならば、そうなんでしょう。
AM3上でのアンケートの存在を存じていた上で一昨日や昨日の様な先鋭的な事は書けなかったと思います。
このディスカッションがブログ上でなく飲み屋で行われているものであったなら、とつくづく思います。飲み屋ならば「おまえ、なんでコウムインなんかやるんだよお。おれコウムインきらいなんだぜえ」って感じで言えたでしょうに。
相手が見えないことで意見は徒に先鋭化して、言葉の端々の誤解を解くことも許されない。しかも誰が読んでいるか分からない。こんな舞台上で赤裸々な意見を表明してしまったことに自分の未熟さを認めざるを得ないです。

しかし「アレはアレ、コレはコレ」と議論継続の余地を自ら作ってしまった以上は、これを完全燃焼させてしまいましょう。本イシューで何があっても、私はaquamindlaboratoryの顧客ですし、AM3の愛読者でいたいと思っています。

これはディスカッションというキャッチボールを終わらせるための大暴投です。38brain様がくださったコメントを無視して私がボールをこっそり捨てるのは忍びない。でもまた私がボールを投げ返してしまうと、38brain様は流石に無視なさるかも知れませんが、他のどなたかがそのボールを受け取って投げ返してくるかもしれない。だからこのキャッチボールが終わるように敢えて大暴投をします。

ここから下の暴投は礼儀として38brain様のコメントをふまえています。でもその暴投はあまりにも力んだフルパワーなので、38brain様の方に投げ返しつつも、擦りもせずに明後日の方向にすっ飛んで行ってしまうと思います。まず他の方は決してこのボールを拾わないでください。ただ、38brain様だけは「お前ばっかりずるいじゃないか。俺にも思いっきり投げさせろ!」ということであれば、フルパワーのきついヤツを一発だけお返しください。真っ正面から受け止めがたいので、暴投希望です。勿論お忙しいとは存じますので、無視してくださっても結構です。そこでこのことは終わりにしましょう。

繰り返しますが、そのほかの皆様は、この馬鹿馬鹿しくも昭和の香り漂う少年ジャンプ的茶番劇の傍観者に徹してください。


私の投球は2つあります。
1つは「付和雷同的性向下におけるアンケート」について。
もう1つは「資本主義とCSR、民間企業の言動へ異を唱えること」について。

■まず「付和雷同云々」について
付和雷同とは、「関東では、エスカレータで急ぐ人は左側を通ること」だと思っています。ご存知の方も多いかと思いますが、エスカレータで急ぐ人のために右側を空けるのは関東で、関西では逆だそうです。
なぜでしょうか。勿論、ルールではありません。デパートなんかではルール化されている事もありますが、それは既成事実をルールとして明記しただけで、ルールから現状ができあがった訳ではありません。その証拠に、唯一ルールっぽい国土交通省の見解は「エスカレータでは危険だから歩くな!」だそうです。
察するにエスカレータで右側を歩く人(関東)のモチベーションは「その状態を守ることが心地よい」でしょう。
なんとなくみんなが右側を歩いている状態でその流れに加わった人間は、右側を歩いた方が快適なはずです。敢えて左側を歩こうとすると自分も面倒だし、他人も迷惑です。つまり誰に言われることなく、大勢の流れを察して、そこに迎合する方が物事はスムーズに行きます。最初のひとりは左右どちらでも良かったのかもしれませんが、後続する人は先行する人に指示されなくてもそれに追従して、それが大きなストリームになってしまう訳です。結果、合理的根拠も権力的強制もなく、暗黙のルールが完成します。
しかして、「エスカレータで急ぐ人は右側を通るべきか左側を通るべきか」という設問には間にあるべきロジックがないままに答えだけが存在するという状況が出来てしまっているのです。

このエスカレータの比喩はもう一つの寓話を含んでいると思っています。それは「右か、左か」という設問の答えは「どちらでもない。歩かないのが正解である」という寓話です。
つまり、自由意志を問うているつもりの設問が、実はその自由を奪って回答の傾向を限定しており、しかも真理には絶対に到達しえない様にしてしまっていることがある、という事を意味しています。
回答の選択肢が限定されている中でひねり出した回答からは、回答者の真意という個人的意見でさえ、ゆがんでしまっている可能性があります。

更に言えばあらゆる設問には恣意性があり、敢えて危険な表現を使えば、「設問の時点で答えは決まっている」こともゼロではありません。
メンデルの優性の法則(ここでは法則自体の説明を割愛します)の優性エンドウと劣性エンドウとの割合が3:1になるというという発表は、論文の版を重ねる毎に、なぜか優性と劣性のマメの数の比率が3:1にキレイに近付いていったそうです。これは研究データの改竄という説もあれば、助手がうまく3:1にならない集計結果を、メンデルの指示もないのに破棄していった結果だとも言われています。メンデルという大先生が「3:1になるはずなんだけど、どう?」と問うた段階で、助手の中には「3:1にせねば」というモチベーションが発生した、という可能性を示しています。

小沢さんの政治献金問題が真っ盛りの最中、NHKの街頭インタビューで「小沢さんを支持しますか」と聞かれれば、積極的に不支持を掲げる人間は「支持しない!」と威勢良く答え、民主党支持者は本当は小沢支持を表明したが今は言い辛いから「回答せず」という姿勢をとるかも知れません。テレビに出られることを期待して、信念に関係なく、「勝ち馬に乗りたい」というモチベーションも働くかも知れません。質問者の意図を先回り(もしくは曲解)して、「どうせこいつらは『支持しない』って言うまで『なんでですか?』って繰り返すんだろ?」と斜に構える人もいるでしょう。結果、有効な回答における不支持の割合は圧倒的になることは目に見えています。NHKが改竄を行わなかったとしても、です。だから、街頭インタビューではなく、もうちょっとだけソフィスティケートされた「選挙」という方法で政権を決定するのです。
アンケートという手法では、暗黙の内に存在するメインストリームを顕在化させることは出来るかも知れませんが、「少数派の存在」、「少数派の真意」、「多数派と少数派の比率」、「総意」は分かりません。最初のメタファーに立ち戻れば、関東のエレベータを眺めていても、「左側を歩きたい人はいない(少数派の存在)」とか「エスカレータで寝っ転がりたいと思っている人はいない(少数派の真意)」とか「右側歩きたい派が97%(比率)」とかと言ったことは結論出来ないのです。
そんな私は生まれも育ちも東京ですが、関西の方には実感を伴ってご理解いただけることと存じます。


■次に「資本主義云々」について
またメタファーですいません。本職はコンサルなので、ついつい説得的コミュニケーションの王道を行ってしまいます。
資本主義は「自転車レースとそのダイナモライト」だと思っています。ここで自転車を使ったのは、天野社長の経歴や「自転車操業」という表現にも無関係です。レーシーな自転車にはダイナモライトはないだろ、という突っ込みは勘弁してください。
古典的自由主義経済のイメージでは資本自身のダイナミズムから「神の見えざる手」が良い塩梅で社会全体をハッピーにしてくれる訳ですが、この資本自身のダイナミズムを自転車に例えて、社会全体がハッピーになることをダイナモライトが空間を明るく照らすことに例えています。
自転車は明るくしたくてダイナモライトを点灯させているんではなくて、自転車が前に進むと、その運動エネルギーのおこぼれでダイナモライトが点灯する訳です。
主張を反復して恐縮ですが、自転車たる民間企業は、交通ルールという法律を遵守する限りにおいて、自由に走ることが許されています。自転車が競争をして速く走れば走るほど、世の中全体が明るくなります。しかし道の太さには限界があるので、みんなが横並びで一番にはなれない。レーサーの体力的限界や道の状況、他の競争者の状況を鑑みて、戦略的に敢えてスピードを落とす事も許されています。わざと徐行して、その行為によって明らかに他人の進路妨害をすれば「ダンピングだ!」と怒られることはありますが、そういった禁則事項はルールに予め定義されているという前提があります。
ただ最終的にはレースの覇者になることが、レーサー自身、もしくはそのスポンサーにとっての至上命題であることは間違いなく、それぞれの考えで切磋琢磨しています。だからスピードを落とすことはレーサーやスポンサーの命取りになるかもしれず、そのリスクは両者が甘受します。

消費者たる私たち沿道の観戦者は自転車がガンガンに競っているお陰で明るく照らして貰っていますが、自転車はそれを目的としてはいない。レーサーにとってライトの明るさは自分たちの速度の目安に過ぎないのです。消費行為自体を企業の目的として捉える資本主義モデルでは、キャピタルゲインや非実体経済を説明することができません。極端を言えば、自転車たる企業は労せずしてゴールすることを考えているので、ダイナモを煌々と照らさずにスピードが出るんであればそれに越したことはないのです。それを許さないのが神の手なんですが。
「神の見えざる手」は結果論に対する賛辞であり、本当は神なんて居なくて、レーサーの運動エネルギーと勝利への情熱が世の中に還元されるというナイスなスキームを「神」と称しているだけなのです。
だから神が居なく、スキームとルールしか無いレースの中で、たまたまレーサーが徐行を始めたり進行方向を変えたときに、「おいおい俺のところが暗いじゃないかよ、こっちを照らせよ」という沿道からの野次はレーサーにとっては騒音でしかないしレーサーが耳を傾ける義務も、野次馬がそれを要求する権利も持ち合わせないのです。勿論、訴えかける対象としての神もおらず、「あれ、反則じゃないの?」と審判に告げ口することは出来ても、観戦者自身が反則の宣告をすることはできません。

比喩が長くなりすぎました。閑話休題。
比喩の中で今回の事例に則して私が申したかったことは、解説するまでもないでしょう。

古典的経済学の中では「合理的人間」が消費者像に前提され、商品の選択は価格によってのみ行われていました。
実際には商品選択の尺度は価格だけではない。そもそもメーカA社でメーカB社とで全く同じ製品などはありえないので商品自体が異なる訳ですが、昨今はそこに価格や商品だけではなくて会社自体を選択基準に加えるムーブメントが巻き起こっています。これが企業の社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility)です。いくら魅力的な製品を安価で売っていても、コンプライアンスに反する企業、エコじゃない企業、女性や障害者雇用に消極的な企業等々からは商品を購入しない、という尺度です。
では、このCSRは勝者を決定する上での新しい価値基準なのか、それとも旧来的な価値を獲得する為のテクニックに過ぎないのでしょうか。自転車に戻れば、例えばレースの勝者を決定する際の価値基準は「如何に早くゴールしたか」です。CSRが新しい価値基準であれば、それは「速度だけではなく、例えば自転車自身の装飾性も芸術点として検討して、総合的に優勝者を決定しましょう」ということになります。また、CSRが旧来的な価値を獲得する為のテクニックに過ぎないのであれば、それは「従来はただがむしゃらにペダルを漕いできたが、科学的トレーニングや空気抵抗を軽減する画期的なウェアの導入、ペース配分の緩急等、レースが筋肉勝負だけでなくなくなってきた。でも目指すのは速度」ということを指します。
現在のCSRの位置づけは後者であることは疑うべくもありません。資本主義における大原則は近代から揺るいでおらず、資本主義社会における企業の至上命題も変わっていません。残酷に言えば、「CSRを果たしていても、売れなければ会社は倒産して、従業員は路頭に迷い株主はキレる」、「格好良い自転車でも遅ければダメ」ということです。
CSRはマーケティングや商品選択基準、ひいては企業行動指針において、重要な位置を占めていることは否めません。パロマ社とパナソニック(旧・松下電器)社とが、ガス給湯器(ガス暖房機)不具合に対する対応で明暗を分けたことは記憶に新しいことと思います。しかしながらパナソニック社はCSR自体を目的として全CM枠を謝罪とリコールに切り替えたのかと聞かれれば、それはNOとなります。パナソニック社はCSRを果たして企業イメージを向上させ、商品選択の際にパナソニック社の製品を選択して貰う、もしくは選択されなくなってしまう事を回避するために、CMを切り替えたのです。つまりCSRは売り上げの手段に過ぎない。
当然CSRを果たす為にはコストが発生します。しかしそのコストに見合うだけのプロフィットが見込めるのであれば費用投下すればよく、長期的に見てもペイしないから見送るという判断が下れば、それもまた正しい企業判断なのです。パナソニック社は今回のCMの為にどれだけの費用投下をしたのでしょうか。たしかにそれによってCSRを果たしたことは間違いないのですが、その判断が経営的に正しかったか、つまり特損を計上してまでもCMを切り替えた方が長期的にはプロフィットを上げることができたのかどうか、という問いに対しては、今もって推測以上の答えは出ないのです。CSR自体は目標ではない。そしてプロフィットを得るためにコストを投下するという構造は従来的な資本主義モデルであり、やはり自転車レースはスピード勝負なのです。

プロフィットを得るためのコスト投下のセオリーは複数あり、観客はついつい「飛ばしていけー」とか、逆に「序盤は押さえていけー」とか具体的な応援をしたくなってしまいます。
でもその指示に従うリスクを背負うのはレーサーとスポンサーであり、沿道の観客はノーリスクです。リスクを背負わない観客にはレーサーに注文を付ける権利はありません。
むしろ私はレーサーの「本当は序盤からガンガン行きたいんだけど、持続力がないから我慢して押さえてんだよ」という内心を想像してしまい、観客は黙してレースを眺めるべし、と思っています。贔屓の選手なら尚更です。ま、ここは私の趣味ですが。


さて、以上が私のフルパワーの大暴投です。力むあまり、38brain様が構えているミットには全然届かないかも知れませんし、敢えて正面から受け取られないように狙いを外していることも否定出来ません。もしかしたら38brain様は退屈されてそこにはいないかも知れません。
他の方は笑って流してください。

私はもうフルパワーを出し切ったので、この件にはどんな問いかけにも挑発にも黙秘をもって臨みます。

明日からは(明日は流石に更新しないと思いますが)、本当に書きたいことだけを書けるようなブログに戻らせて頂きます。
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# by osamimizu | 2009-03-13 00:11 | その他
2009年 03月 10日

不本意ながら、昨日の続き

昨日久しぶりに当ブログを更新しましたが、アクセスカウントが尋常じゃない数字を示しています。
多分、昨日のADA通販問題への言及が、2chあたりで良くも悪くも話題になってしまっているのでしょう。コケ撲滅のことが話題になってれば幸せなんですがね。

良い意味での話題になる訳もないので、釈明をうっておきます。
本当はこんなこともう書きたくないんですが、自業自得ですね。。。

2,3人しかこんなブログ読んでないだろうと思って記したものの、不特定多数の目に触れれば面白くない思いをする人がいるであろう事は想像に難くない事でした。迂闊な物言いであったことを謝罪します。
出来れば先日の記載を削除してしまいたいのですが、昨今の小沢さんの「発言を撤回する」という行為の無意味さ・無責任さに辟易としていたので、敢えて私は削除はしません。それに、反感を買ったから、敵を作ったから撤回、というのも大人として格好悪すぎますから。

ここまでは謝罪、ここからが釈明です。
ちょっと壮大な話になります。

私たち日本人は中庸であることを良しとして教育を施されてきました。何事もほどほどに、過激はダメ、がこれほどまでに擦り込まれていることに驚嘆し、「教育」というシステムを侮っていたことを悔い、既存の教師・教育システムを壊すために将来の選択を変更しようかと本気で考えたことが学生時代特有の熱病に終わったので、今はサラリーマンをやっています。
なんで中庸の価値観が芯に据えられたのかを史観含めて意見すると別の話題の標的になりそうなので敢えて簡単に私見を述べますが、「反権力」ということがキーワードになるでしょう。民主主義、平和主義、文民統制、自由主義経済、これら戦後のキーワードは首尾一貫して反権力・反統制であり、その土壌としての権力の暴走を諫める中庸志向が教育されたのでしょう。
さて、その徹底された中庸志向を私は嫌いではありません。恐らくは嫌いになるほど、それを客観視できていないのでしょう。でも嫌いじゃないまま三十路を越えてしまったので、もう嫌いにはなれません。
中庸であることはバランス感覚を要して、それを維持するのには高度な知性が求められます。しかし今の世論が持つ中庸志向は決して論語に説かれた中庸ではなく、「尾崎豊的な幼稚ロックンロール」に過ぎないです。学校の窓ガラスは叩いて壊しちまえ!みたいな感じです。学校=権力や強者の言が自分たちにとっては不利益であるという古典的価値観に端を発して、そこに盲目的に反発してるだけです。
今や古典的価値観は敗退して、自分たちこそが権力の一つを構成していることに気がついていないんです。紛れもなく、日本国民は日本における権力ですよ。民主主義国家だからではなくて、政治やマスコミといった既存権力が自分たちの意見を持たずに大衆迎合を旨としている現状分析の結果、大衆が権力を握っているのは自明ということです。支持率で政権はひっくり返るし、マスコミはコマーシャルビデオに過ぎません。なのに自分たちを権力の彼岸に位置づけて犠牲者ぶって盲目的に反発する。
権力が強大でファナティックに鷹派だった時代には盲目的反発も一定の価値があったのかも知れませんが、今は違うんです。中庸を志すのであれば、自分で考えてバランスを取らなければいけない。強力な権力に非力な大衆が全力でNOを唱えると結果的に全体では中庸を目指して動いていたことになっていた、なんていう牧歌的な時代はもう終わったんです。労使闘争しかり。そんなバランス構造は崩壊しているんです。

だから私たちは付和雷同を避けねばならない。どんな方向であっても、権力の構成者が一斉にその方向を向けば、その勢いには道理も引っ込むのです。三権でさえ分立しているのに、1億3000万権が分立を辞めたら大変な事になります。今は旧来の権力よりも民意の方が過激で「権力的」で非合理で非道理な事が珍しくない。全くもって中庸ではない。
私が大嫌いなソフトバンクの白犬も「空気なんか読むな」と言っています。そこにだけは同意です。「空気を読む」。なんて傲慢で閉鎖的な言葉でしょう。異文化排除の田舎者根性丸出しです。「空気」を共有出来ないモノをパージし、村八分を恐れてみんな付和雷同へと向かわざるを得ない。学生のイジメが無くならないのも、2chにおけるADAへの異常なまでの批判は空気を読んだ成果なんでしょう。

だから私は中庸を志向する為にも、今回は敢えて天の邪鬼でいます。昨日も書いたとおり、私も損益を被る消費者のひとりですが、敢えて、です。
不法入国者の娘がいくら可哀想でも、今の法律では親を国外退去させるのは道理なんです。外国の不法行為によって子供を拉致された親の意見であっても、度を超して政策要求にまでなるのであれば全体利益のためには無視もしなければいけない。被害者は被害者であってヒーローではない。庇護すべきかも知れないが特権を与えてはいけない。みんなが権力者と反対の方向を向いていれば良い素晴らしき時代は去ったのです。ADAが行った通販禁止が気に入らなくても、全員が全員強烈な「反対」を唱えているネットの世論は幼稚な尾崎豊主義でしかないんです。北朝鮮の全員笑顔のマスゲームを見たときのような違和感を覚えます。みんなが「反対」を唱えている相手は権力でも独占者でもなく、単なるイチ民間企業ですよ?あなた方と対等です。決してみんなは非力じゃないんです。

私の意見には従って欲しくない。誰の意見でもしかりです。
合意するんだったら、黙っていて欲しい。だってその意見は既に他人が言った意見なんでしょ?違う意見だからこそ言う価値があるんです。私の意見が2chの方々や他のADA大好きっこさん達(勿論、私もそのひとりです)の意見と異なっていてもいいでしょ?私の意見が私の友人や私がお世話になっている先輩ブロガーさんの意見と何から何まで一致する訳がない。お互い数十年別々に生きている大人なんですから。そしてあるイシューにおける意見の背反は、その人との人間的対立には必ずしも結びつかない。アレはアレ、コレはコレ、という事です。

先に謝罪したとおり、天の邪鬼になるあまり、多数派の意見を揶揄する様な過激で稚拙な表現があったことは謝りたい。あまりに反対派の方が多かったので強烈で刺激的なことを言ってみたくなり、不適切なことを書いてしまいました。
そして出来れば昨日の記載を削除したいですが、それは卑怯なのでしません。

また今回の記載では尾崎豊とソフトバンク、マスコミ関係者、政府関係者を揶揄してますが、これは否定しません。

以上。
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# by osamimizu | 2009-03-10 20:36 | その他
2009年 03月 09日

コケとの戦い 勝利宣言へ!

いやー。2月は忙しかったです。まさに、忙殺。仕事に殺されるかと思いました。

そんな不吉な話は過去の話で、余裕が出てきたので休暇をとって、ついでにブログ更新です。

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1ヶ月以上経過したのでがらりと変わってしまったタンクですが、タイトルの通り、コケとの戦いに勝利しました!!

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勝因は、「攻め」と「代理」ですね。

一旦は遮光作成等の「守り」も考えたのですが、やはり水草側の勢力が弱いからコケ側が調子にのって付け上がる訳です。
ガンガンに光を当てて成長の速い有茎草を投入して、二酸化炭素を添加して水も弱酸性に傾けて、「攻め」を続けた結果、見事な勝利を収めました。

また、水草とコケとがまさに勢力争いをするのを人間が勝手に片一方に与する訳ですから、これは「代理戦争」ですね。冷戦の米ソ、もしくはゲームのポピュラスです。人間が直接手を出してコケを取ったりしても、所詮限界があります(全く無意味ではないですが)。人間は水槽の中の戦いに直接参加するには大きすぎて力もありすぎて、両方を殲滅してしまう恐れがあります。
如何に「代理」に徹して、自分が与する側に有利な環境を維持し続けるかが大事だと悟りました。



そんな人間の力の暴走を示す証拠が!

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割れた。。。通販が出来なくなった直後に。。。
今はかろうじて接着剤で繋がっています。

因みに
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# by osamimizu | 2009-03-09 14:54 | アクアリウム
2009年 01月 29日

黙って換水、そしてダイエット

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メタハラの球の交換を終え、見た目には透明度もあり順調そうなのですが、

近付いてみると
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# by osamimizu | 2009-01-29 01:37 | アクアリウム